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1985年の東ドイツ。その2。

f0217617_12234692.jpg
ベルリン行きの国際列車は、
かなりの遅れをもって運行していた。
もともとモスクワを出発するときからして
数時間単位で遅れが発生していたのだから、
もはや定刻運転などという概念はないようなものだったが、
僕にはひとつ不安があった。
ビザである。
東ドイツのトランジット・ビザの有効期間は1日。
列車が遅れて、
もし到着が深夜を越えてしまったらどうなるのだろう。
常識的に考えれば、
鉄道が原因での遅れなのだから、
そこはうまく取りはからってくれるに違いない。
しかしその常識が厳格な共産主義国家である東ドイツで通用するのか。
オーバーステイを言い渡され、
法外な罰金を請求されたらどうしよう。
いやそれどころか、
もしかして逮捕。
ビザの有効期間内に出国できなかったのは、
スパイ行為を働いていたからではないかとあらぬ邪推を受け、
ろくな裁判も行われずに有罪、
矯正労働所送り?
それまでに読んだり観たりした、
本や映画のシーンが次々に頭のなかに浮かんでは消える。
車窓から見える風景が夜の帳に包まれ、
不安はますます増幅される。
そんななか、
次第に周囲には無機的な団地群が増え、
やがてようやくベルリン・オストバンホフ(東駅)に到着。
記憶ははっきりしないのだが、
夜の10時過ぎではなかったか。
とにかくこの日のうちに、
国境を越えて西ベルリンに入らねばならぬ。
しかしベルリン・オストバンホフ駅に国境があるわけではないので、
そこから国境までは自分で移動しなければならないのだが、
その移動手段を僕はまったく知らなかった。
そして駅をはじめすべての表記が
ドイツ語のみというのも僕には問題だった。
大学の第二外国語で学んだドイツ語なんてとっくに霧散。
いっぽうの東ドイツも、
一般市民はもちろん駅員にも英語が話せる人は皆無。
当時の東ドイツでは英語なんてほとんど敵性言語だ。
ロシア語やフランス語は話せても、
英語を話せる人はまずいない。
仮に話せる人がいたとしても、
公共の場所で見ず知らずの外国人と
親しげに話したりしているのを見られたら、
シタージ(秘密警察)に密告されるかもしれない。
さらなる問題は、
夜のそんな時間に両替所なんてとっくに閉まっているということ。
手持ちの東ドイツマルクはゼロ。
同じ列車に乗っていた西側の欧米人たちは、
タクシーを拾うとそそくさと駅から去っていく。
今から考えると米ドルで交渉して、
国境まで行ってもらったのかもしれない。
僕にはそんな知恵もお金もなかったので、
駅にいた東ドイツ人に誰彼かわまず、
指を指しながら
「ベルリン・ウエスト?(西ベルリンはあっち?)」と尋ねまくる。
どうやらSバーンと呼ばれる高架鉄道に乗れば
西ベルリンに行けることはわかったのだが、
そのSバーンに乗るためのキップが買えない。
またもや誰彼かまわずに、
「チケット? チケット?」と尋ねていると、
あるおじさんが見かねたのか、
自分の持っている回数券のようなものをめぐんでくれた。
あのときは慌てていたせいもあって、
たいしたお礼もできなかったが、
あのおじさんがいなければどうなっていたことか。
僕のなかの「人生の恩人」リストに並ぶひとりである。
無事にSバーンに乗り、
フリードリヒ・シュトラッセという駅で下車すると、
目の前にドーム状の建物があり、
それがイミグレーションだった。
まだ零時前だったせいか、
拘束もされずに無事通過。
そこからさらにSバーンに乗り継ぐが、
僕にはまだ西ベルリンに入ったという実感はなかった。
なぜなら東ドイツは出国したものの、
西ドイツの入国審査はなかったから。
おそらくそれは、
東ドイツから西ドイツに入国する人間は、
無条件で許可されるような当時の事情もあったのだろう。
「きっと東西ベルリンの間には緩衝地帯のようなものがあって、僕はいまそこに立っているんだろう」
というのが、そのとき必死に考えた僕なりの推理だった。
だからSバーンをどこで降りれば西ベルリンに入れるのか、
このまま乗っていると環状線みたく、
また東ドイツに戻ってしまうのではないかと心配し、
とりあえずある駅のホームに降りてみる。
そして駅員に「西ベルリンはどこですか?」と質問すると、
その駅員は、
こいつは何を言っているのだろうと不思議そうな顔をして、
「ここ! ここが西ベルリンだよ!」
と笑って教えてくれた。
あとから知ったが、
そこは西ベルリンでも中心に位置する「動物園駅」だった。

写真は翌日、ベルリンの壁沿いに建つ墓地に前にて。壁を突破しようとして国境警備員に射殺された東ベルリンの住民のものだという。墓地の前にいる僕を、壁の向こうの監視塔から双眼鏡で監視しているのが不気味。
東ドイツ/東ベルリン。1985年。
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by apolro | 2016-12-25 12:34 | 旅の日々 | Comments(0)
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