旅と暮らしの日々 by sato tetsuya


今日の旅、昔の旅、そして狭間のよしなしごと。
by apolro
カテゴリ
最新の記事
記事ランキング
以前の記事
ブログとサイト
マイナー鉄道とイタリアを愛する駄菓子さんのブログ
いつも旅ごころ

黒くて大きな動物たちと暮らす詩人姐さんのブログ
トチの贈り物

高円寺「清浄」のシェフ・melさんのブログ
melのブログ

高円寺のアートなブックバー「ブラインドブックス」のブログ
BLIND BOOKS

高円寺のヘビーユースな庶民派バー「GOODY」のサイト
Dram shop GOODY

廃墟&脱力系サイト「ポンチハンター」さんのサイト
ポンチハンター

航空フォトグラファーにして文章も達者な阿施光南さんのブログ
風の探検隊

旅と読書とイタリアと鉄道と。ikeさんのブログ
ike blog

*ブログ内の写真、文章の無断転載はお断りします。
最新のコメント
最新のトラックバック
www.whilelim..
from www.whilelimit..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
花の都市という異名を持つ..
from dezire_photo &..
祭壇画の秘宝「神秘の仔羊..
from dezire_photo &..
重要文化財・三重塔のある..
from dezire_photo &..
古代ローマの水道橋と旧市..
from dezire_photo &..
星を継ぐもの ジェイムズ..
from 粋な提案
検索
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
ブログジャンル
ライフログ
画像一覧

カテゴリ:旅の日々( 830 )


奄美大島のマングローブ林を散歩する。

f0217617_10523139.jpg
奄美大島住用川流域のマングローブ林。
この写真だけでは山深いなかを流れているようにも見えるが、
この先はもうすぐ海。
こんな光景が見られるのは、
日本ではあとは沖縄の西表島くらいか。
カヤックをレンタルして海の手前まで下ってみた。
同じように見えるマングローブ林も、
よく見るとさまざまな樹木が混じっている。

f0217617_10525049.jpg
白く見えるのは花が咲いているのかな。
昔この流域を漕いだのはもう20年以上も前のこと。
あのころにくらべると、
島はずいぶんと観光整備がされたようにも見える。
奄美群島は今年『奄美群島国立公園』に指定された。
そしてそのいっぽう、自衛隊のミサイル基地建設でザワザワしている。
この先どうなるかはわからないけれど、
アマミノクロウサギ、
そしてケンムンがいつまでも住み続けられる森があり続けますように。

f0217617_10532737.jpg
ケンムンというのは、
奄美大島のガジュマルの樹に棲むとされる妖怪、
あるいは妖精のようなもの。
奄美大島/鹿児島県。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-28 10:55 | 旅の日々 | Comments(0)

喜界島の戦争遺跡その3。電探基地跡とトッコウバナ。

f0217617_11264873.jpg
喜界島中央部に広がる台地「百之台」の南端には、
太平洋戦争時の電探(レーダー)基地跡が残されていた。
標高211メートルと島で最も標高が高いこの場所は、
敵機来襲を察知するのに最適の場所だったのだろう。
しかし見晴らしがよいということは、
相手からのも見つけられやすいということなのだろう。
現存する遺跡は台地の一角に、
完全に埋没する形で残っている。

f0217617_11272128.jpg
入口は狭く、
それでいて周囲は強固なコンクリートで囲われていて、
防御力の高さがうかがわれる。
ちょっと見には、
まるで古墳の石室のようだ。
当時は地上部にもなにか構造物はあったのだろうが、
今確認できるのはこの入口のみ。

f0217617_11284255.jpg
戦争遺跡の傍らに、
可憐な花が咲いていた。
この花の名前はテンニンギク。
戦争末期、
島から飛び立つ特攻隊員に対して、
島人たちがこの花を贈ったことから、
現在この花はトッコウバナという哀しい名前で呼ばれている。
喜界島/鹿児島県。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-26 11:31 | 旅の日々 | Comments(0)

喜界島の戦争遺跡その2。掩体壕。

f0217617_10303872.jpg
喜界島に現存する太平洋戦争の残滓。
こちらは掩体壕と呼ばれる施設。
鹿児島から飛んできた特攻機を整備、給油する最中、
米軍機に襲われないようにするための格納庫だそうだ。
上に草木が覆い茂っているのが、
年月の経過を感じさせる。
コンクリートで頑丈に作られているが、
やはり柵が張られているので、
内部には立ち入らないほうがよいようだ。

f0217617_10311436.jpg
天井部分にはいくつも亀裂が入っていて、
たしかにいつ崩壊してもおかしくないのかもしれない。
しかし飛行機を格納するにはずいぶん小さい気がする。
1機、互い違いにしてもせいぜい2機がいいところではないだろうか。
そこで現地の解説版を読んでみると、
当時、掩体壕は島内に50ヶ所以上あったとのこと。
ただし物資不足のせいか、
ほとんどは三方に土を盛って、
上には木の枝をかぶせただけという、
子どものつくった秘密基地を大がかりにしたようなものだったそうだ。
隠すことしか存在意義はなかったんだな。
この掩体壕だけが唯一コンクリート製だったために、
現在も残っているという次第。
しかし敵機が来襲したら、
本来は迎撃に出るべき自機を真っ先に隠したり、
木の枝を屋根した掩体壕をつくったりしていた時点で、
もはやこの戦いに勝機はないと思いそうなものだが、
やはりじわじわと少しずつ環境が変わっていくことに関しては、
人間はなかなか気づけないものなのだろうか。
喜界島/鹿児島県。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-25 10:33 | 旅の日々 | Comments(0)

喜界島の戦争遺跡その1。戦闘指揮所。

f0217617_10423618.jpg
喜界島には今もいくつかの戦争遺跡が残されている。
これは当時の戦闘指揮所跡。
国内に現存する戦闘指揮所としては唯一のものらしい。
太平洋戦争時、
喜界島には海軍の航空基地があったのだが、
昭和20年の米軍沖縄上陸後は、
この地は一気に戦争の最前線となった。
ここから出撃していったのは特攻機というのが哀しい。
鹿児島の基地から飛来した特攻機はここで給油、整備を受け、
沖縄に向かって飛んでいったそうだ。
鹿児島から380キロという位置が、
給油に適していたのだろう。
そして、それらの作戦はここで指揮されていた。

f0217617_10432366.jpg
出入口は前後にあり、
手前側の入口はかなり崩壊が進んでいるせいか、
立入禁止のロープが張られていた。
コンクリートが剥がれ落ち、
真っ赤に錆びた内部の鉄骨が剥き出しになっている。

f0217617_1043548.jpg
敵の攻撃を想定した軍事施設だからだろう、
かなり密に鉄骨が組まれているのがわかる。

f0217617_1044146.jpg
外壁に一直線に並ぶ痕跡は、
当時の機銃掃射によるものだろうか。

反対側の入口は比較的保存状態が良好なせいか、
ロープが張られていなかったので中に入ってみる。
内部の備品はすべて取り払われてしまったのか、
殺風景なコンクリートの四角い箱が残るばかりだ。

f0217617_10444259.jpg
ここで特攻隊員たちも訓辞を受けたのだろうか。

f0217617_104577.jpg
戦争遺跡とパパイヤの木というシュールな組み合わせに、
現在の僕たちがなにをすべきか考えさせられる。
喜界島/鹿児島県。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-24 10:47 | 旅の日々 | Comments(0)

サーブの飛行機に乗った。

f0217617_11551410.jpg
喜界島から奄美大島へのフライトは所要時間約20分。
上昇したなと思ったら、
ほとんど水平飛行なしに着陸の準備に入る。
運賃は正規運賃で1万円とちょっとだったか。
一見安そうに感じるが、
乗っている時間を考えるとかなり割高だね。
乗った機材は『SAAB 340B』。
サーブということはスウェーデン製ということか。
スウェーデンの飛行機に乗ったのは初めてかもしれない。
『サーブ ドラケン』や『サーブ ビゲン』など、
これまでにも自国の戦闘機を開発し続けているから、
信頼性は高いんだろうな。
乗ってみて、ひとつ感じたのがシートの配列。
横一列につき3席という構成になっていて、
当然2席と1席の間に通路が走っているのだけれど、
これって乗客が全席に乗ったときに、
左右の重量バランスって問題にならないのでしょうか。
乗客定員が40人に満たない小ささなので、
けっこう影響あるような気がするのだけどな。
以前、調布飛行場から8人乗りの旅客機に乗ったときは、
老若男女問わず、
全員自分の体重を申告させられて、
左右のバランスを考えて席が指定されましたよ。
喜界島/鹿児島県。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-21 11:57 | 旅の日々 | Comments(0)

釣りとキャンプと幸せと。

f0217617_10563469.jpg
一日の釣りを終えて日が沈み、
遠回りをしてよろず屋に寄って、
島焼酎を買い出す。
崖を回り込むように下る林道からは、
水平線の向こうに神津島が見える。
さて、テントに戻ったら、
まずは乾杯をして、
それから魚を捌く係と、
ご飯を炊く係に分かれてと……。
そんな夕方の風景に、
実はとても幸福を感じたりする。
三宅島/東京都。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-18 10:57 | 旅の日々 | Comments(0)

久しぶりに出会った『みき』。

f0217617_11121188.jpg
沖縄でしか手に入らないと思っていた『みき』が、
奄美大島にもあった。
この飲み物は、
容器の大きさといい、
なかに入っているトロリとした液状のものといい、
一見すると「飲むヨーグルト」ぽい外観。
けれど実体はまったく別で、
「お米シェイク」とか「お餅ドリンク」といった例えが近いだろうか。
あるいはねっとりして粒状のものがない甘酒というか。
いずれにしても原材料はお米がメインらしい。
現地では暑い夏を乗り切るための健康食品として
昔から親しまれているようだ。
「みき」という名前は、
きっと「神酒」が語源なんだろうな。
昔にくらべると、
沖縄でも目にする機会が減ったような気がしていたので、
意外なところで出会えてうれしかった。
奄美大島/鹿児島県。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-16 11:13 | 旅の日々 | Comments(0)

日曜日は『山形酒祭り』へ。

f0217617_11125458.jpg
昨日は『山形酒祭り』へ。
これは新宿から荒木町界隈にある酒場やバー、寿司屋に、
それぞれ山形県の酒蔵が自慢の酒を持ち込んで、
蔵人から直接注いでもらえるという贅沢なイベント。
参加店舗は8店で、
それぞれに店に2〜3の酒蔵が待ち受けていてくれる。
ということは全店歩いてまわると約24杯飲めるという計算か。
もちろん注いでもらうのは小さなティスティンググラス、
そのくらいなら余裕じゃろうとのんびり構えていったのだが、
一軒目を訪れてみると、
各酒蔵がそれぞれ2〜3銘柄を用意してくれていることが判明。
これは飲む量が一気に3倍近くになったことを意味する。
いや、別に全部飲まなくてもいいのだけれど、
せっかくだから、
やっぱりねえ、
という貧乏人根性がどうしても出てしまう。
しかも正午から夕方5時までという制限時間があるから大変である。
のんびり酒飲み散歩というよりは、
ボルドーあたりで開催されるワインマラソンのような趣ではないか。
いや、全部飲まなくてもいいのだけれど。
一軒あたりの滞在時間を約30分と定め、
移動時間を酔い覚ましとすることに。
なんとか制限時間ギリギリにすべてを飲みきったのだった。
さて、いったいどれくらい飲んだのだろう。
グラス一杯が約30mlとして、
飲んだのは約48銘柄。
ということは8合か。
そりゃ酔っ払うはずだ。
しかし、鶴岡や山形、寒河江といった、
今まで訪ねたことのある町はもちろん、
置賜や東根、天童、米沢など、
まだ行ったことのない地域の酒も堪能できて大満足である。
ちなみに山形の酒は昨年末、
日本の都道府県としては初めて、
「山形」という地理的表示の認定を受けたのだそうだ。

f0217617_11132747.jpg
ヘロヘロになりながらの家路、
中央線の跨線橋を渡ると、
西の空はまだほんのりと明るいのであった。
東京都。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-15 11:18 | 旅の日々 | Comments(0)

神津島の向こうに見える陸地はどこ?

f0217617_9395283.jpg
三宅島から南を望むと視認できるのは御蔵島のみで、
なかなかの孤島感を味わえるが、
いっぽう、北の海には、
大島、利島、新島、式根島、神津島と、
伊豆諸島が意外なほどの距離で居並び、
島同士の親近感が感じられる。

f0217617_9375287.jpg
昔の人はこれらの島を視認しながら、
「次はあの島へ」と順々に渡っていって、
最終的に伊豆諸島の最南端、
青ヶ島まで辿り着いたのかもしれない。
そんなふうに有人島の成り立ちを想像しながら、
島々を眺めていたところ、
ふと疑問が湧いてきた。
神津島の南端には、
重なるように起伏のある陸地が見えているのだが、
最初はこれを伊豆半島の突端あたりだと思っていた。

f0217617_9372541.jpg
しかし地図と見くらべてみると、
三宅島の北端から眺める神津島に南には、
伊豆半島は飛び出さないことが判明。

f0217617_9432030.png
とすると御前崎あたりかなとも思ったが、
そこも神津島からは飛び出さない。
えっ、ということはさらにその先の渥美半島なの!?
渥美半島ってもっと平らな印象があるし、
それにいくらなんでも近くに見えすぎではないだろうか。
仮に渥美半島だとすると、
伊良湖水道を挟んで反対側の志摩半島も見えていいはずだが、
それはない。
うーん、謎だ。
三宅島/東京都。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-13 09:44 | 旅の日々 | Comments(0)

三宅島とわたくし。

f0217617_1115042.jpg
初めて三宅島を訪れたのは1983年の4月。
大学で入部した探検部の新歓合宿だった。
高校のときから山は歩いていたが、
島旅はこのときが最初。
宿泊はもちろんテント。
霧に煙るなかの雄山登山や、
夜の林で見つけた発光キノコの群落など、
今でも思い出は多い。
探検部のほうは、
生意気なことばっかり言っていたせいか、
1年生のうちにクビになってしまったが、
やはりなにか心の残りのようなものはあったのだろう。
翌年の春に今度はプライベートで訪問。
島の変わりように驚かされた。
実は1983年の秋に三宅島では噴火が発生。
前年に訪れた阿古地区は溶岩に呑まれて見る影もなくなっていた。
溶岩に半分ほど埋まったまま放置された小学校を見るにつけ、
前回知り合いになった小学生が心配になったが、
人的被害がなかったのがせめてもの救いだった。
その後2000年にも三宅島は再び噴火、
このときは島民全島避難という事態にまでなり、
その後、5年にわたって人々は島に帰ることはできなかった。
そして数年前、ようやく三宅島のキャンプ場も復活、
今年、実に久しぶりに三宅島でのキャンプがかなったのだった。
初めて訪ねてから34年ぶり、
最後に訪れてから33年ぶりのことである。
三宅島/東京都。2017年。
[PR]

by apolro | 2017-05-12 11:03 | 旅の日々 | Comments(0)