旅と暮らしの日々 by sato tetsuya


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古書と立山温泉。

f0217617_12094778.jpg
この週末に高円寺の西部古書会館で開催された、
古書均一市。
土曜日は全品200円、
そして日曜日は全品100円というわかりやすい値付けのせいか、
多くの古本好きで賑わう。
鵜の目鷹の目で古書を吟味、
ホコリとかび臭さをものともせず、
山積みの古書とともに会計に向かうおじさんの姿も珍しくない。
同居の家族は大変だろうな。
人のことはいえないが。
そんななか僕の収穫はこの一冊。
美坂哲男さんの『山のいで湯行脚』。
発行は1980年だから
それほど古いわけでもないが(でももう35年以上前か)、
記載されている入湯記録のなかには昭和30年代のものも少なくなく、
これが興味深い。
とくに昭和35年に北アルプスのザラ峠から下って
立山温泉に入った記録などは、
そのルート自体が現在では実質廃道、
立山温泉も営業をやめてしまったことを考えると、
資料性が高い。
中途半端に古い情報にはあまり価値がないが、
それよりさらに古くなった資料は逆に輝きを増す。
ザラ峠から立山温泉へのルート、
なんとか行ってみたいものだ。
東京都。2017年。

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# by apolro | 2017-01-16 12:13 | 日々のなかの旅 | Comments(0)

睡蓮鉢が今冬初結氷。


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ここ数日、豪雪に難儀されている地方のかたには、
へそが茶を沸かすような話ですが、
東京も今日はこの冬一番の冷え込み。
青空こそ広がっているものの、
玄関先の睡蓮鉢はがっちり結氷です。
都心に氷が張ったのは今冬初めてではなかろうか。
そして僕の仕事部屋の室温は、
昼近くになっても5℃を切ったまま。


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今日はこれ以上上がらないんじゃないかな。
かといってこの部屋には可燃物(書籍)が山積みで、
怖くてストーブを置くことができない。
腰まで厳冬期用のシュラフに潜り、
上半身は室内なのにダウンパーカ。
そして指先だけ出ている手袋をしてキーボードを叩くという、
例年お約束の仕事姿が今年もやてきました。
東京都。2017年。

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# by apolro | 2017-01-15 12:11 | 日々のなかの旅 | Comments(0)

湯久保集落の「湯」の字が気になって。

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檜原村の湯久保集落に行って見たかったのにはほかにも理由があって、
それは湯久保という地名につく「湯」の漢字。
地名に「湯」の字がつく場所は、
えてして温泉に関係があることが多い。
そして以前なにかの文献で、
湯久保にも過去に温泉があったという記述を見た気がしたのだ。
しかし、現在の湯久保界隈には温泉はない。
地図にも温泉マークはない。
手元の書籍をひっくり返しても、
ネットで検索をかけても、
それにまつわる資料はなし。
あれは単なる思い込みだったのかと、
自分の記憶にも自信がなくなっていて、
それもあって今回現地を歩いてみた。
けれどもそれでもヒントは見つからず、
やっぱり思い違いだったのかと思いながらも、
帰り際にものは試しと寄ってみた檜原村の郷土資料館で、
あっさり答えは見つかった。
それは受付で見せていただいた、
『檜原村村史』という分厚い書籍のなかにあった。
やはり過去には湯久保集落の南を流れる湯久保沢沿いに源泉があり、
その温度はゆで卵できるほどだったらしい。
湯久保の地名もそこから発祥しているとのこと。
もしかしたら、
湯久保は本来「湯窪」なのかもしれない。
残念ながら明治中期から徐々に湧出が止まってしまったそうだ。
案の定、湯久保は温泉がらみの地名だったのだ。
村史には湧出していた場所も明記されていた。
そうなるとまた、
その場所を確認してみたくなるわけで、
暖かくなったら沢登り、
あるいはヤマメ釣りにかこつけて行ってみようかと思う。
東京都。2017年。
 


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# by apolro | 2017-01-14 12:08 | 旅の日々 | Comments(0)

湯久保集落ぶらり散歩。

檜原村の奥にある集落である湯久保。
地形図で確認すると、
湯久保集落へ行くのには、
北秋川沿いの都道から細い舗装道に入り、
途中の分岐で直進か右折を選択することになる。

どちらの道沿いにも民家が点在するのだが、
それらをぐるりと周回するには、
標高900メートル近い湯久保尾根まで詰め、
そこから尾根沿いに下ってくるしかないように見える。
しかしこういった山麓には、
地形図には反映されていない作業道や地元道のようなものが
数多く存在していることが多い。
ためしに同じ湯久保集落を昭和初期の地形図で確認してみると。

ほらね。
集落内を縫うようにいくつもの道が交差していることがわかる。
■マークで表現される住宅も、
いまよりずっと広域に数多くあるように見える。
今回はこの道を散歩してみた。

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都道から伸びる道は当初、
杉に囲まれた暗い森のなかを行くが、
やがて南側が開けて青空が広がる。

舗装道があるのはここまで。
正面に民家が建ち、
その手前から九十九折れの山道が右へ延びる。
ちなみにこの山道を支える石積み。
ずいぶんしっかり積まれているなあ。
湯久保の人たちの手によるものだろうか。
公共事業だったらコンクリートを使うだろう。

しばらくこんな簡易舗装の山道が続いたあとに、
指導標のない分岐が現れた。
地図から判断するに、
おそらく左の道が尾根へ、
そして右が湯久保集落を周回する道なのだろう。
今回は右へ。

落ち葉にに埋もれてはいるものの道型はしっかりしている。

途中で山道沿いに現れた構造物。
おそらくは沢の水をここに溜め、
集落の上水として利用するためのもの。
これの整備のためにもこの道は維持されているのかもしれない。

やがて日当たりのよい場所に出て、
そこには一軒の民家が。
畑仕事でもしていてくれれば、
声をかけることもできるのだが、
そう都合よくはいかない。
「生きている」民家とあれば、
写真を撮るのだってちょっと気が引ける。

このへんの道も山側は時代を感じさせる石積みがびっしり。

日陰には数日前の雪が残る。
このあたりから周囲には家屋が増え始め、
集落の中心まで来たことが実感できるが、
驚くのはここにはまだ山道しか通じてないこと。
大きな荷物はすべて背負って家まで運ぶのだろうか。

ようやく舗装道に出た。
この道を下れば、
往路で右に分岐していたあの道に至るのだろう。
舗装道との合流地点にあった庚申塔と古い石仏。
庚申塔には「天保」年間の文字が、
そして石仏は摩耗していて、お顔はつるつるだった。
湯久保集落の歴史がにじみ出る。
東京都。2017年。


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# by apolro | 2017-01-13 12:01 | 旅の日々 | Comments(0)

檜原村、湯久保の集落を訪ねて。

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島をのぞくと東京で唯一の村である檜原村。
その檜原村のなかでも奥まったところに位置する湯久保集落へ。
湯久保尾根の南面に、
民家が広く散らばるように建っているこの山上集落、
湯久保尾根の北を走る浅間尾根を歩いているとき、
いつも日差しをたっぷりと浴びている様子が気持ちよさそうで、
いつか訪ねてみたかった。
電車とバスを乗り継いで訪ねてみれば、
案の定、下からの林道を歩いて少しずつ標高を上げるにしたがって、
浅間尾根の向こうから冬の日差しが差し始め、
ウエアを一枚、また一枚と脱いでゆく。
斜面に植えられた柚の木には実が鈴なりで、
その向こうにはいつも歩いている浅間尾根。
数日前、都心も雨だったけれど、
檜原村では雪だったのだろう。
浅間尾根の北斜面にはまだしっかりと雪が残っているのが見えた。
東京都。2017年。

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# by apolro | 2017-01-12 18:33 | 旅の日々 | Comments(0)

「長澤村」で考えた。

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奥武蔵、越上山の山腹にひっそりと建っていた神社。
位置関係からして麓にある阿寺諏訪神社の奥の院なのでしょう。
灯籠には「武州高麗郡長澤村」の刻印が。


高麗という地名は駅名や高麗神社の名前で知られていますが、
その成立は古く、
8世紀に2000人近い渡来人がこの地に移り住んだことに始まるそうです。
しかし「長澤村」という地名は聞き覚えがないなと思って
ちょっと調べてみたところ、
明治22年の町村制の施行によって東吾野村に合併されてしまったとのこと。
その東吾野村も昭和31年には飯能市に編入されて消滅、
高麗郡自体も明治29年には入間郡との合併によってなくなっていました。
平成の市町村大合併もそうですが、
わずか100年ほどの短い期間に、
この国の地名は目まぐるしく変わっているのだなあと再認識。
埼玉県。2017年。


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# by apolro | 2017-01-11 11:57 | 旅の日々 | Comments(0)

故郷土産をいただく。

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正月休みを故郷で過ごした友人から、
いろいろと故郷土産をいただく。
大阪は「551蓬莱」の豚まん。
函館はこってり味噌味で知られる「まつ笠」のラーメン。
そして敦賀からはにしん寿司。
僕は実質的に故郷というものがないので、
こういった故郷の土産というものがあるのはとても羨ましく、
そしてとてもうれしい。
皆さん、ありがとうございます。
東京都。2017年。


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# by apolro | 2017-01-10 10:47 | 日々のなかの旅 | Comments(0)

正月明けの酒場巡り。

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門松も納められ、街中は日常風景に。
高円寺の何軒かの居酒屋へ、
新年のご挨拶と称して徘徊する。
お店によって、
正月に故郷から持ち帰ってきた郷土の食材が盛られたり、
お通しがちょっとした正月仕立てだったりして、
これがまた楽しい。
さて、今年もこの街でどれだけの酒を酌み交わすことだろう。
どうぞよろしくお願いいたします。
東京都。2017年。
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# by apolro | 2017-01-09 10:38 | 日々のなかの旅 | Comments(0)

今日のお昼ごはん:一日遅れの七草粥。

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一日遅れの七草粥。
例年、七草粥は食べてきたけれど、
それはあくまでも習慣にのっとってのこと。
ところがことしは正月の暴飲暴食がたたってか、
どうも胃具合が万全ではなく、
本当にお粥を食べたいタイミングだった。
しっとり染みいるようなお粥が本当に美味しく感じ、
胃袋もやさしくいたわってくれているようだ。
昔の人は偉いことを思いつきましたね。
東京都。2017年。
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# by apolro | 2017-01-08 15:28 | 今日の昼ごはん | Comments(0)

今年の釣り初めはワカサギ……。

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友人より「ワカサギ釣り行かない?」との誘いがあり、飛びつく。
場所は千葉県のダム湖。
しばらく前に、その友人は同じ場所で釣った美しいワカサギの魚体を
フェイスブックにアップしていた。
今年の釣り初め。
冬の釣りの風物詩、ワカサギ。
いいじゃないか。
ワカサギ釣りというと穴釣りのイメージが強いけれども、
近年は温暖化の影響により結氷する湖自体が少なくなり、
ここもボート釣りか岸釣りがメインだ。
まあボートを出すまでもなかろうと、
まずは岸から竿を出す。
水煙に煙る冬のダム湖も風情があってよいものだ。
竿を出して5分、10分、30分……。
どうにもアタリがない。
友人も「こんなはずじゃ……」と訝しがるが、
えてして釣り、とくにワカサギ釣りはそんなもの。
釣れていると聞いて出かけてみれば、
それは昨日までの話というのは少しも珍しいことではない。
この日もその例にもれなかったのか、
あちこち場所を移動しても結果は出ず、
ようやくの1尾目が出たのは11時近くだったろうか。

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今の時期のワカサギのサイズはまだこんなもの。しかし美しい魚体である。

しかしまったく釣れないのと1尾でも釣れるのでは、
モチベーションはまったく違う。
ワカサギがいることはわかったのだ。
釣りにも力が入るというものである。
ところが。
その後もアタリこそときどきあるものの、
釣ることはできず、
やがてそのアタリさえ遠のいてしまった。
友人はといえば、
見ていて気の毒になるほどに根掛かりを連発し、
ようやく回収したかと思えば、
今度は背後の竹藪に仕掛けを絡める始末。
これで集中力を持続させよというほうが難しい。
その後も場所移動を繰り返すも、
結局アタリが再来することはなく、
14時過ぎに納竿。
この日の釣果ワカサギ1尾。
1尾ですよ1尾。
ワカサギといえば一束(100尾)単位で数えることで知られる、
この魚を1尾……。
これはある意味、ボウズよりレアなのではないだろうか。
周囲の状況から敗因を推察するに、
この日のワカサギ君たちは、
気象条件の変化などにより深場に落ちていってしまっていたようだ。
リールと投げウキを使って沖目を狙っていた人たちは
快調に釣っておりました。
しかし延べ竿しか用意していなかった僕たちには手が出せず。
これも釣りである。
ちなみにわずか1尾とはいえ自分で釣った魚。
当初の想定とはまったく釣り合わない
オーバースペックのクーラーバッグに収納され、
しっかり持ち帰ってきた。
うーむ。

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明日は全長5センチほどのこいつを滅茶苦茶ていねいに料理してやろうと思う。
千葉県。2017年。
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# by apolro | 2017-01-07 18:56 | 旅の釣り、週末の釣り | Comments(0)

オアハカの「死者の日」。

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メキシコには二度ほど訪ねているけれど、
いまだに行けていないのがオアハカの「死者の日」。
これは、家族が集って故人への想いを馳せるもので、
日本のお盆に似ているお祭りだ。
日本と異なるのは、皆が骸骨の仮装をして、
明るく楽しく街中をねり歩くという点。
オアハカ自体がメキシコシティから離れているのに加え、
時期が11月というのもなかなか行きにくい。
最近では007シリーズ最新作『スペクター』の
オープニングでもこの祭りが舞台となっていて(ロケはメキシコシティで行われているけど)、
おおいに盛り上がっていましたね。
写真はオアハカに行ったときに購入した死者の日グッズのあれこれ。
このときは12月だったので祭りには参加できず。
どれも全長10センチほど。
手前の棺桶は、
蓋を開けるとなかにちゃんと骸骨が横たわっている。
聞くところによるとオアハカの雰囲気も
ずいぶん変わってきているというし、
自分が偲ばれるようになる前に行かないとね。
東京都。2017年。

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# by apolro | 2017-01-06 11:30 | 旅の日々 | Comments(0)

僕は映画の初代『ゴジラ』を観たのか? 後編。

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自分が初代『ゴジラ』を観たのか確信がもてなくなり、
DVDを借りてきて確認してみた。

ゴジラが初めて上陸するのは大戸島という架空の島。
実際のロケは三重県の鳥羽市周辺で行われたらしい。
東京へ上陸する経路、
そして登場する海上保安庁の巡視船の名前が、
「しきね(式根)」、「こうづ(神津)」といった名前であることから、
大戸島のモチーフは伊豆大島なのではと想像したが、
少し調べてみると設定は小笠原諸島らしい。
たしかに伊豆大島じゃあ近すぎるか。

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ゴジラの襲来によって避難する村人たち。海辺にはりつくようにしてある、当時の漁村の街並みが興味深い。ロケなのでたぶん実際風景そのまま。まだ戦後の大変革は訪れていないのではないか。

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ゴジラに立ち向かう村の男。ひとりは猟銃、残りのふたりはなんと日本刀を片手に。当時はまだ蔵のなかに日本刀がふつうに眠っていたりしたのか。

やがてゴジラは東京に上陸して暴れ回るわけだが、
おそらくその光景には太平洋戦争の空襲が色濃く反映されているのだろう。

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火の海となる東京。

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逃げ場を失い追い詰められた母は、子どもに向かって「お父ちゃんのところに行こう……」と語りかける。父は空襲、あるいは出征で亡くなったのか。

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テレビにかじりついてゴジラの狼藉に怯える家族。なんだか小津安二郎っぽい絵だなとも思ったが、おそらくあの当時、きわめて一般的な家族の姿。

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ゴジラにかじられる電車。その後いく度となくゴジラには苦渋をなめさせられた都心の電車ですが、『シン・ゴジラ』ではひと泡吹かせてやりましたね。

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現在進行形で放送が続けられているテレビ塔(1954年現在、東京タワーはまだない)をなぎ倒すゴジラ。

この光景を観て思い出したのですが、
僕が子どものころにテレビドラマで『日本沈没』をやっていて、
東京が津波に呑まれて沈むときに
東京タワーから最後の中継が行われるというシーンがありました。
そのときアナウンサーが、
「世界の皆さん、さようなら! これが東京からの最後の放送です! さようなら! さようなら!」と叫び、
その直後に東京タワーが津波に呑まれて消えるという場面に、
子ども心に大泣きした記憶があります(今思い出してもやばい)。
あれはもしかして、
この初代ゴジラのシーンに対するオマージュだったのでしょうか。

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「伊勢丹」「高野フルーツパーラー」「ワシントン靴店」。今では貴重な1950年代の新宿通りの風景です。

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そしてガイガーカウンターで被曝検査を受ける子どもたち。

僕が初代『ゴジラ』を観たことがあるのか。
映画を見直しただけでははっきりとした答えはでませんでしたが、
少なくともこんなに反戦、反核要素が盛り込まれていたこと、
情報としては知っていましたが、
具体的なシーンはまったく憶えていませんでした。
3〜4歳じゃあしかたがないとはいえ、
それじゃあ観てないも同然だ。
未見の人はぜひ一度ご覧になることをお勧めします。
しかし、こんな風に「観た気になってる映画」って、
ほかにもあるんだろうなあ。
東京都。2017年。
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# by apolro | 2017-01-05 11:56 | 映画で旅する | Comments(0)

僕は映画の初代『ゴジラ』を観たのか? 前編。

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昨年、劇場で『シン・ゴジラ』を観たときに、
はたと思った。
自分は初代『ゴジラ』を観たことがあるのかと。
1954年に公開された『ゴジラ』。
うっすらとした記憶はある。
まだ幼稚園に行くかいかないような時分に、
家のテレビで放映されたのを親父と一緒に観ていた光景。
調べてみると『ゴジラ』がテレビで放映されたのは、
1967年にNHKでというのが初めてらしいので、
時間的なつじつまは合う。
モノクロで描かれているのがおどろおどろしかったような気がするが、
これはきっと記憶の捏造。
だってそのころは家のテレビもモノクロだったし、
テレビ放送自体まだモノクロが多かったはず。
ときを前後して観た『ウルトラQ』と
映像がごっちゃになっているのかもしれない。
とくに海のシーンなどは、
『ウルトラQ』ナメゴンのシーンと混濁している可能性が高い。
もしかしたら、
後年、テレビや雑誌などで断片的に現れる『ゴジラ』の映像を
脳内で切り貼りして観た気になっているだけなのではないか。
そんなことを考えると、
居ても立ってもいられなくなり、
DVDの初代『ゴジラ』を借りてきた。
これから観てみようと思う。
さて真実はいかに。
ちょっとP.Kディックの小説『追憶売ります』のようで、
地味にワクワクしてきた。
東京都。2017年。
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# by apolro | 2017-01-04 11:54 | 映画で旅する | Comments(0)

新春なれど。

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テレビをつければ、
どこのチャンネルも「新春!新春!」とかしましい。
たしかに旧暦上では春の訪れといえるものの、
実際にはますます寒くなったり、
雪がどっさり降ったりと、
これからが冬本番といったところ。
しかしそれでも、
庭のウメの樹を眺めてみると、
梢の先にはもうしっかりと蕾の種を持っていた。
季節の移ろいが遅いような、早いような。
まあなんにしても、
春よ、こい。
東京都。2017年。
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# by apolro | 2017-01-03 15:12 | 旅の生き物、日々の生き物 | Comments(0)

元旦料理。

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明けましておめでとうございます。
2017年の元旦は昼から酒盛りという、
いかにも正月らしく明けていきました。
唯一イレギュラーだったことといえば、
年始の初料理がおせちでもお雑煮でもなく、
ベーコンだったこと。
本来なら年末中に作り上げる予定だったものが、
酒を飲んだり、酒を飲んだり、酒を飲んだりと、
諸事にかまけているうちに押せ押せになってしまいました。
おかげで新年早々、
台所はいきなり燻製臭に包まれたのでした。
さあ、このベーコンを肴に今日も飲むとしますか。
今年もよろしくお願いいたします。
東京都。2017年。
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# by apolro | 2017-01-02 11:19 | 飲む日々、酔う旅、美味しい時間 | Comments(0)

2016年の大晦日。

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2016年もあと数時間。
皆さま、今年もいろいろお世話になりました。
いろいろとご迷惑もお掛けしたかと思いますが、
懲りることなく、
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
写真は7月に歩いたアイスランドのロングトレイル「ロイガヴェーグル」。
今年歩いた峰々のなかでは、
一番印象深く記憶に残っています。
なにせこれまで数多くの土地を訪ねながら、
いまだにリピーターにはなれたことのない僕が、
珍しく「また近々行きたいな」と思っているくらいですから。
よいお年をお迎えください。
2016年。東京都。
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# by apolro | 2016-12-31 17:17 | 日々のなかの旅 | Comments(0)

振り向けば東京湾を囲む半島が。

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一番奥に見えるのは房総半島。
その手前は三浦半島。
そして江ノ島。
江ノ島は観光灯台まで視認できますね。
手前の山容は大山でしょうか。
だったら今頃は、
初詣の準備で大わらわでしょう。
奥多摩も雲取山付近まで来れば、
関東をずいぶんと遠望できます。
東京都。2016年。
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# by apolro | 2016-12-30 16:36 | 旅の日々 | Comments(0)

ベーコンなお正月。

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あと三日で今年もおしまい。
例年、お正月だからといって、
とれといって特別なことをするわけではないが、
今年は唐突に、
お正月に向けてベーコンを仕込んでみることにした。
以前にやって意外とうまくいたのと、
今日買い物に行ったら、
焼き豚用にブタバラ肉が大量に出回っていたのを目にしたのが理由。
塩と胡椒をもみこんで一晩。
さらに塩と胡椒を洗い落としてまた一晩。
燻しはダッジオーブンにやってもらおう。
チップは残っていたサクラでいいかな。
元旦は燻製の香りととともに。
東京都。2016年。
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# by apolro | 2016-12-29 16:56 | 飲む日々、酔う旅、美味しい時間 | Comments(0)

革命とマッチラベル。

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後に「ビロードの革命」と呼ばれる
チェコスロバキアの民主革命。
夜ごとに市民達がヴァツラーフ広場に集い、
自由を求めてデモを繰り返していましたが、
そんななかにも日常はありました。
クリスマスも近く、
昼間は街角に市が立ち、
ささやかなクリスマス飾りや
食材などが並べられていました。
チェコスロバキアではクリスマスに
鯉を食べるというのもこのとき知りました。
僕もなにか土産的なものをと市をうろついているときに、
古書店で見つけたのが箱マッチのラベル。
共産主義体制下で物資も乏しいなかでも、
「何かを蒐集する」という
人間の性は途絶えることはないのでしょう。
こんなものを一生懸命集めて、
ときには同好の士と交換会などもしていたのであろう、
プラハのおじさんたちの姿が目に浮かびます。
チェコスロバキア製のものはもちろん、
ヨーロッパやアフリカ諸国、
なかには中国製のものまで。
当時のチェコスロバキアの外交関係がうかがえます。
それにしてもこの時代の東欧のデザインって、
やはりちょっと独特でかっこいいなあ。
プラハ/チェコスロバキア。1989年。
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# by apolro | 2016-12-28 11:50 | 旅の日々 | Comments(0)

杉の樹林帯を抜けるとそこは。

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奥武蔵の尾根道を歩いていると、
いきなり樹林が拓けて青空が。
なんだなんだと早足で抜けてみたところ、
どうやら新しい送電鉄塔が建てられるようだ。

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まだ新規の鉄塔が必要なんだということにちょっと驚きつつ、
鉄塔を建てるにはこれだけのスペースを
伐開しなければならないのかということも知る。
それはそうか、
建てるには事前に資材を搬入するスペースが必要だものね。
本来ならば尾根筋にあったであろう登山道が、
山腹に仮設された金属製の歩道にすり替えられていて、
そこを滑らぬように歩きながら、
そんなことをぶつくさ独りごちる。
埼玉県。2016年。
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# by apolro | 2016-12-27 12:06 | 旅の日々 | Comments(0)

小掃除にてサルベージしたもの。

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大掃除の季節ですが、
一気に片付けるような気力はないので、
部分ごとに、
少しずつ、
小掃除(ちいそうじ)でやっつけるようにしています。
昨日は玄関、
今日は台所といった具合です。
んで、本日はテレビを中心とする棚を攻めたところ、
棚と壁のすき間からナゾの物体が。
一瞬、カビがびっしり生えているかと思ってゾッとしましたが、
よく見るとホコリ。
まあこれでも十分ゾッとしてよいわけですが。
いったいなんだろなーと思いつつ、
そっとハタキをかけてみたところ……。

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正体は「ブースカ」さんでした。
そういえばテレビの後ろに飾ってたっけ。
地震かなにかでこけたのでしょうが、
よくもまあこんなふうに美しくホコリを纏ったもんです。
いや、「美しく」というのも変だけど。
東京都。2016年。
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# by apolro | 2016-12-26 11:17 | 旅の道具、日々の道具 | Comments(0)

1985年の東ドイツ。その2。

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ベルリン行きの国際列車は、
かなりの遅れをもって運行していた。
もともとモスクワを出発するときからして
数時間単位で遅れが発生していたのだから、
もはや定刻運転などという概念はないようなものだったが、
僕にはひとつ不安があった。
ビザである。
東ドイツのトランジット・ビザの有効期間は1日。
列車が遅れて、
もし到着が深夜を越えてしまったらどうなるのだろう。
常識的に考えれば、
鉄道が原因での遅れなのだから、
そこはうまく取りはからってくれるに違いない。
しかしその常識が厳格な共産主義国家である東ドイツで通用するのか。
オーバーステイを言い渡され、
法外な罰金を請求されたらどうしよう。
いやそれどころか、
もしかして逮捕。
ビザの有効期間内に出国できなかったのは、
スパイ行為を働いていたからではないかとあらぬ邪推を受け、
ろくな裁判も行われずに有罪、
矯正労働所送り?
それまでに読んだり観たりした、
本や映画のシーンが次々に頭のなかに浮かんでは消える。
車窓から見える風景が夜の帳に包まれ、
不安はますます増幅される。
そんななか、
次第に周囲には無機的な団地群が増え、
やがてようやくベルリン・オストバンホフ(東駅)に到着。
記憶ははっきりしないのだが、
夜の10時過ぎではなかったか。
とにかくこの日のうちに、
国境を越えて西ベルリンに入らねばならぬ。
しかしベルリン・オストバンホフ駅に国境があるわけではないので、
そこから国境までは自分で移動しなければならないのだが、
その移動手段を僕はまったく知らなかった。
そして駅をはじめすべての表記が
ドイツ語のみというのも僕には問題だった。
大学の第二外国語で学んだドイツ語なんてとっくに霧散。
いっぽうの東ドイツも、
一般市民はもちろん駅員にも英語が話せる人は皆無。
当時の東ドイツでは英語なんてほとんど敵性言語だ。
ロシア語やフランス語は話せても、
英語を話せる人はまずいない。
仮に話せる人がいたとしても、
公共の場所で見ず知らずの外国人と
親しげに話したりしているのを見られたら、
シタージ(秘密警察)に密告されるかもしれない。
さらなる問題は、
夜のそんな時間に両替所なんてとっくに閉まっているということ。
手持ちの東ドイツマルクはゼロ。
同じ列車に乗っていた西側の欧米人たちは、
タクシーを拾うとそそくさと駅から去っていく。
今から考えると米ドルで交渉して、
国境まで行ってもらったのかもしれない。
僕にはそんな知恵もお金もなかったので、
駅にいた東ドイツ人に誰彼かわまず、
指を指しながら
「ベルリン・ウエスト?(西ベルリンはあっち?)」と尋ねまくる。
どうやらSバーンと呼ばれる高架鉄道に乗れば
西ベルリンに行けることはわかったのだが、
そのSバーンに乗るためのキップが買えない。
またもや誰彼かまわずに、
「チケット? チケット?」と尋ねていると、
あるおじさんが見かねたのか、
自分の持っている回数券のようなものをめぐんでくれた。
あのときは慌てていたせいもあって、
たいしたお礼もできなかったが、
あのおじさんがいなければどうなっていたことか。
僕のなかの「人生の恩人」リストに並ぶひとりである。
無事にSバーンに乗り、
フリードリヒ・シュトラッセという駅で下車すると、
目の前にドーム状の建物があり、
それがイミグレーションだった。
まだ零時前だったせいか、
拘束もされずに無事通過。
そこからさらにSバーンに乗り継ぐが、
僕にはまだ西ベルリンに入ったという実感はなかった。
なぜなら東ドイツは出国したものの、
西ドイツの入国審査はなかったから。
おそらくそれは、
東ドイツから西ドイツに入国する人間は、
無条件で許可されるような当時の事情もあったのだろう。
「きっと東西ベルリンの間には緩衝地帯のようなものがあって、僕はいまそこに立っているんだろう」
というのが、そのとき必死に考えた僕なりの推理だった。
だからSバーンをどこで降りれば西ベルリンに入れるのか、
このまま乗っていると環状線みたく、
また東ドイツに戻ってしまうのではないかと心配し、
とりあえずある駅のホームに降りてみる。
そして駅員に「西ベルリンはどこですか?」と質問すると、
その駅員は、
こいつは何を言っているのだろうと不思議そうな顔をして、
「ここ! ここが西ベルリンだよ!」
と笑って教えてくれた。
あとから知ったが、
そこは西ベルリンでも中心に位置する「動物園駅」だった。

写真は翌日、ベルリンの壁沿いに建つ墓地に前にて。壁を突破しようとして国境警備員に射殺された東ベルリンの住民のものだという。墓地の前にいる僕を、壁の向こうの監視塔から双眼鏡で監視しているのが不気味。
東ドイツ/東ベルリン。1985年。
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# by apolro | 2016-12-25 12:34 | 旅の日々 | Comments(0)

1985年の東ドイツ。その1。

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モスクワからベルリンへの旅すがら、
ポーランドとの国境で東ドイツから発給された
トランジット・ビザの有効日数はわずか1日だった。
トランジット・ビザというのは、
その国を抜けてさらに隣国に行くときに発給される、
いわゆる通過専用ビザ。
つまりこのビザが有効な間に、
東ドイツを抜けて西ベルリンに出なさいよというわけだ。

中国から西ドイツまで鉄道で旅するにあたっては、
通過する各国のトランジットビザの取得が必要で、
このとき必要だったのは、
モンゴル、ソ連、ポーランド、そして東ドイツのビザだった。
在北京の各国大使館をまわって、
ひとつずつ取っていかねばならないのだが、
これにもルールのようなものがあって、
モンゴルやポーランドのビザを取るには、
まず彼らの偉大なるお兄さん国家である
ソ連のビザを先に取らなくてはならなかった。
ビザ発給業務は週の半分くらしか行ってくれず、
さらに発給されるには数日を要し、
その間、パスポートは預けっぱなしなので、
かけもちで申請することもできない。
これらの条件をクリアしながら、
パズルのように各国のトランジットビザを揃えるのには、
たしか2週間ほどかかったのではないか。
そのなかで唯一、
東ドイツだけが国境で、
その場で発行してくれたのだった。

無事ポーランドの出国をすませ、
列車内に入ってきた東ドイツの入国審査官は、
いかにもドイツ人といった厳格そうなおじさん。
愛想はまったくないが、
仕事は正確にしてスピーディー。
「トランジット?」
「イエス……」
「5マルク!」
「ペイ バイ ジャパニーズ・エン?」
「イエス! 430エン!」
そして目にもとまらぬスピードで、
僕のパスポートの一番最後のページの片隅に、
きっちり水平に、
そしてかすれもなく
ポーンッ!と入国スタンプを押してくれた。
そのとき僕は心のなかで、
「おお、ドイツに来たぜ」と、
ちょっと感動していた——。
とばかり思っていたのだが、
あらためて30年ほど前のパスポートを引っ張り出してきて、
東ドイツの入出国スタンプを確認してみると、
全然そんなことなかった。
きっちりというより、
ページからはみ出しているし。
ときとして、
旅の記憶は脳内で捏造されるというよい例である。
東ドイツ/フランクフルト・アン・デア・オーダー。1985年。
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# by apolro | 2016-12-24 16:32 | 旅の日々 | Comments(0)

不思議な空模様。

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年の瀬とは思えぬ気温。
年の瀬とは思えぬ湿度。
朝がたには真っ青な空が広がったと思いきや、
むくむくと湧きだしてきた雲がその空を覆い尽くし、
やがて風が吹き始めた。
山にいたらハラハラしそうな天気の流れ。
東京地方、明日の予報は終日快晴だけれど、
果たしてどうなることやら。
いずれにしても、
年末にこんな天気は初めてだ。
東京都。2016年。
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# by apolro | 2016-12-23 15:10 | 旅の日々 | Comments(0)

森の箱庭。

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おそらく、
かなり昔に伐採されて残った切り株。
雨や雪に打たれて、
やがて腐り始め、
いつしかそこを苔が覆った。
苔がはびこるとそこには水が湛えられ、
さらに別の種類の苔が生え、
茸が育ち、
いくつもの草も芽吹き始めた。
さらには小さいながら木も伸びてきて、
直径数十センチほどの切り株の上は、
さながら森の箱庭のよう。
さて、この先これがどんなふうに変容していくのか、
ずいぶんと気になるところだが、
その答えを見られるのは、
僕の寿命よりもずっとずっと先のことだろう。
東京都。2016年。
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# by apolro | 2016-12-22 15:56 | 旅の生き物、日々の生き物 | Comments(0)

ラジウスとアラジンストーブ。

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何度か冬を迎えるなか、
知らず知らずのうちにアラジンストーブを空焚きしてしまったようだ。
それでも当初は調整して、
少しずつ芯を送り出して対応していたのだが、
とうとうどんなに絞り出しても、
安定した青い炎がでなくなったので、
久しぶりに芯自体を新品と交換。
交換後にはきれいな炎が蘇った。

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ちなみにこちらが交換前の炎。
ねっ、ずいぶん違うでしょ。
そしていつも思うことだが、
石油ストーブのメンテナンス作業は、
高校時代に山岳部の部室でさんざんやらされた、
ラジウス(登山用石油コンロ)の手入れを思い出させてくれる。
きっと石油の匂いがヤコブソン器官を介して、
脳の記憶回路を活性化させるんだろうな。
東京都。2016年。
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# by apolro | 2016-12-21 11:15 | 旅の道具、日々の道具 | Comments(0)

大豆専用。

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野田のキノエネ醤油にて。
「業者専用」とか「搬入専用」とかではなくて、
「大豆専用」というのがなんだかよろしい。
一般の訪問者は別の入口へお回りくださいということなんだろうけど、
そこで疑問。
醤油をつくるためのほかの原材料、
麹や小麦はどこから入れるのだろうか。
「麹専用」入口もあるのかなあ。
千葉県。2016年。
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# by apolro | 2016-12-20 11:35 | 旅の日々 | Comments(0)

映画『この世界の片隅に』を観た。

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『この世界の片隅に』を観た。
時代は昭和8年から21年にかけての激動の昭和。
舞台は広島。
主人公の少女、浦野すずを中心に、
家庭、街並み、風俗など、
当時の日本の暮らしがていねいに描かれています。
僕はこの作品にかぎらず、
映画に出てくる食事のシーンが大好物なので、
その意味でも満腹できる映画。
声をあてているのん(能年玲奈)と、
主人公のぼんやりとした性格もうまく合っていましたね。
この時代設定にお約束? のイジワルな場面も、
主人公のキャラのおかげでほのぼのと観ることができました。
作中で淡々と描かれてゆく日常。
そしてそのなかにじわじわと染みこんでゆく非日常。
今も昔も、
こうして少しずつ時間をかけて変わっていく環境の変化には、
人は気づきにくいものなのかもしれません。
こういう映画を観たあとに、
目頭が熱くなってしまうのはもう慣れっこなのですが、
映画が始まってすぐ、
『悲しくててやりきれない』が流れだした瞬間に、
鼻の穴の奥がツーンとしてきたのは、
我ながらいかがなものかと思います。
ロケ地である呉にも行ってみたくなりました。
軍港のイメージが強いですが、
海と山に囲まれた、
よさそうな街ですね。
なんせこの年まで生きてきて、
広島県で行ったことがあるのは三次だけという偏りっぷりなので。
東京都。2016年。
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# by apolro | 2016-12-19 11:33 | 映画で旅する | Comments(0)

家呑みとアスタリスクと祝い猪口。

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近所の酒場が休みだということを思い出し、
昨晩は珍しく家呑み。
酒は買い置きがあったのでよかったのだが、
こういうときにかぎって肴がなく、
乾物入れからホタルイカの素干しを掘り出し、
それに山芋を刻んで醤油を垂らし、
なんとか飛車角をそろえる。
酒は山形の*(アスタリスク)。
キリッとしたすっきり系で冷やがよさそう。
ちなみに僕が「*」をアスタリスクと呼ぶと知ったのは、
編集の仕事に携わったときなのだけれど、
今の人はみんな普通に知っているのだろうか。
さらにいえば僕が習ったのはアスタリスクではなくて「アステリスク」。
これは英語風に読むか、ラテン語風に読むかの違いで、
どちらも間違いではないそうだ。
どちらも意味は「小さな星」。
お猪口は以前下山時に寄った、
大月の笹一酒造で買い求めたもの。
酒屋などが開店したときに、
祝儀として酒蔵などが名を入れて贈るお猪口を、
この酒蔵の先代だかがあちこちから集めて、
古道具扱いで販売していた。
このお猪口には「御代田町 茂木倉庫」という文字が書かれている。
古い映画でも観ながら、
こんなひとり酒もたまには楽しい。
東京都。2016年。
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# by apolro | 2016-12-18 11:58 | 飲む日々、酔う旅、美味しい時間 | Comments(0)

枯れ葉らの音と匂いで山歩き。

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師走に入ると、
低い山の落葉樹はあらかた枯れ葉を落とし、
登山道にそれを敷き詰める。
踏むごとにカサカサと乾いた音を鳴らし、
そのたびに枯れ葉の香りが周囲を覆う。
少し風に吹かれるだけで、
葉っぱたちはあたりを右往左往と錯綜。
もうしばらくするとこの道も雪に覆われ、
春まで雪の下で土へと還る準備を始めるのだろう。
乾いた落ち葉を踏みしめながら山歩きをできる期間は、
実は意外と限られている。
埼玉県。2016年。
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# by apolro | 2016-12-17 14:34 | 旅の日々 | Comments(0)