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残雪の御前山。

残雪の御前山。_f0217617_14413839.jpeg

天気良好無風状態の一日。
奥多摩の御前山へ。
先週降った雪がまだ残っているのではという期待のもとに早朝5時に家を出る。
境橋バス停から林道を辿り、
途中でヤマメの養魚場を抜けてまず着いたのは栃寄の集落。
御前山の北斜面ながら比較的平坦な場所にいくつかの家が残るこの集落には、
朝からポカポカと日差しが差しこみ、
なんだかここに家を建てようと思った先人の気持ちが伝わるようだ。

この時期に山里で満開の花をつけていたのはウメすかね。

斜面に目を向ければサルの群れ。
これじゃあ畑仕事は難しいかもしれないな。

林道上にはほとんど雪がなかったので、
もしかしてもう全部解けちゃったと心配だったが、
奥多摩体験の森を過ぎたあたりでしっかり積雪が現れた。
どうやらここまでは除雪が入ったみたい。

午前中の日差しが射すなかを尾根に向かって標高を稼ぐ。

部分的に雪面はアイスバーン状態。
軽アイゼンを用意してきてよかった。

尾根に出てからは長い斜面をひたすら登っていく。
そうだった。
ここはけっこうきつかったのを思い出す。

ようやく御前山山頂へ。
登ってくるときにはほかに登山者はいなかったが、
山頂に次から次へと到着してくる。
どうやら奥多摩湖側から登ってくる人が多いようだ。
クルマで来て、
奥多摩湖の駐車場を利用しているのかな。

山頂からは北方向の石尾根や長沢背稜あたりの山並みが一望。
手前の石尾根にくらべて奥の長沢背稜のほうが、
雪がべったり着いているように見える。
どちらも標高は大差ないので、
地形的なものが関係してるのだろうか。
左端に見えるどっしりとした山が雲取山かな。

下山途中で見つけた観音堂のような洞(うろ)。

下山は大ブナ尾根を下っていく。
尾根の名前とは裏腹にブナの木はそれほど多くはなかった。

眼下に奥多摩湖が見えてくれば下山口はもうすぐだけど、
ここからは急激な下り斜面が続く。
まるでそのまま奥多摩湖の湖底まで続くかのようだ。

仕上げはいつものように奥多摩駅の古民家ビアカフェ『バテレ』でビールを何杯か。
お疲れさま。
東京都。2024年。


# by apolro | 2024-03-17 14:45 | 旅の日々 | Comments(0)

観音像は江戸湾に流れ着いたか。_f0217617_13564680.jpeg

入間川の支流・成木川を遡っていき、
飯能市と青梅市のい市境の直前に建っているのが岩井堂観音だ。
川と車道にはさまれた岩峰の上に御堂があるらしい。
あるらしいのだが、参道はなぜか川に向かって一直線に下っている。
さらに「参拝は自己責任で……」的な忠告も書かれている。
たしかにこれは急な下り階段だが、
そこまで脅かすほどのものでもないだろうとヘラヘラ下っていくと。
下りきったところからは岩場をいきなり登り返しだ。

いちおう階段らしき体裁にはとっているものの、
自然岩を少し加工したものにすぎない。
鎖も張られていて、
その先は切れ落ちた渓谷だ。
なるほど先ほどの忠告の理由はこういうことか。

そんなところを登って御堂に出たが、
御堂は閉ざされており内部の様子はわからない。

御堂脇のちょっとえぐれた崖下にはいくつもの石仏が並べられていた。
ここに奉納されたものか、
あるいはどこからか集められたものか。
実はこの御堂には観音像伝説が伝わっている。
今から1000年以上も前のこと、
嵐で成木川が氾濫。
祀られていた観音像もろとも激流に呑まれたそうだ。
そしてその観音像は成木川から入間川、
荒川を経て隅田川の河口まで流れ着き、
あるとき浅草の漁師の網にかかったのだという。
どこかで聞いた逸話。
そう、浅草寺の観音像の縁起だ。
つまり現在、浅草寺に納められている観音像は、
ここから流れたものだという。
こういった話はときどき耳にするものの、
この話は浅草寺とも共有されており、
ある年に浅草寺の観音像の分身があらためてここに奉納されたという。
どこまでが史実かは不明だけど、
ここ数年は毎年のように豪雨であちこちの川が氾濫している。
そのときにはきっとさまざまなものが流下しているんだろう。
川や海で釣りをしていたら、
そのうちそんな物や者を釣り上げてしまう可能性も否定できないだろう。
ちなみのこの岩田堂観音。
参拝後が往路を戻るのではなく、
そのまま岩峰をよじ登ってから再び下るという周回ルートになっている。
最初はなんでこんな回りくどいことをとも思ったけど、
よく考えたら、往路のあの道じゃあ人のすれ違いも難しいかも。

そして帰路の道は往路以上に険しい。

山歩きで出てくる鎖場並みだ。

訪ねるときは足元にご注意を。
埼玉県。2024年。


# by apolro | 2024-03-15 14:00 | 旅の日々 | Comments(0)

NHK学園2024春講座修了。

NHK学園2024春講座修了。_f0217617_17274100.jpeg

本日はNHK学園の現地講座の引率で飯能方面へ。
加治丘陵からの『トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園』。
天候は快晴無風の絶好のムーミン谷訪問日和。
加治丘陵の尾根道はしっかり整備されていてなんの心配もなかったのですが、
やはり気を遣ったのは尾根道から公園へ一気に下降する階段道。
標高差としては50メートルほどで、
山歩きをしていればよく出てくるような道ではあるものの、
参加者は軽いピクニック感覚だと思うし、
年輩のかたも多いので細心の注意を払いました。
おかげでケガも脱落者もなく無事にムーミン谷へ到着。
たしかトーベ・ヤンソンの原作でもムーミン谷へ行くにはけっこう山歩きを要したような。
このコースでやって来ればちょっとはスナフキンの気分になれたかな、
なんていうのは勝手な思い入れかなあ。
まずは皆さんお疲れさまでした。
埼玉県。2024年。

# by apolro | 2024-03-14 17:28 | 旅の日々 | Comments(0)

ギターのチューニング、再び。_f0217617_15231427.jpeg

エレキギターのチューニング中に弦を切り、
たとえチューナーがあっても切るときは切るのだということを知った。
しかし、そこで立ち止まるわけにはいかない。
新しいエレキの弦を手に入れるまでに、
ほかにやることはある。
アコギのチューニングである。
アコギを探していたらなぜかエレキが発掘され、
なし崩し的にエレキを手に取ったわけだが、
その後、アコギもちゃんと掘り出していた。
というかエレキが使えなくなったので、
やむなく第二次発掘隊を出したのだった。
アコギの新しい弦はすでに手元にある。
さっそく新しい弦を張ってチューニングすることにする。
ところがエレキの弦を切ってしまったことで、
「弦を切っちゃったらどうしよう症候群」が再発。
とくに1弦と2弦のキリキリするような感触は怖くてしかたがないので、
とにかく安全第一の手段を講じることにする。
まずはすべての弦をダルンダルンにして、
そこから少しずつ張りを強めていくのだ。
だが、この方法だといつになってもチューナーの針は微動だにしない。
いくらなんでも緩すぎるかとペグをグリングリンと回していくと、
今度は急に高いほうに針が振り切れて震え上がる。
そこから少ーしだけ戻すと今度は低いほうに針が全振れ。
いつになっても針は真ん中に収まらない。
結局、これはもしかしたらチューナーが壊れているのか、
あるいは自分のチューナーの使いかたが根本的に間違っているのではというところに落ち着き、
このチューナーをプレゼントしてくれたマナブにFBのメッセージで泣きつく。
彼の見立てではチューナーのトラブルも完全否定できないが、
それよりも弦を切るのが怖いあまり、
1オクターブ低い音域でチューニングしているのではないかとのこと。
そして「ためしにチューナーを『Chromatic』モードにして合わせてみるといいよ」とのアドバイスを受け、
そのクロマティックというのがなにかもわからずそちらでやってみると、
おお!針がピッタリ、ゲージの中央に収まったではないか。
やはり音域そのものを間違っていたらしい。
それまでよりずいぶんと弦の張りが強くなった。
これで安心と思いつつも、
やっぱり1弦、2弦に調整は怖い。
まさに薄氷を踏む思いで、
これ以上張ったらもう切れちゃうっ! というギリギリのところで、
どちらもようやく正しいセッティングが出た。
あ、クルマなんかではマシンの調整がバッチリ出ることを「セッティングが出る」という表現をするらしいのだが、
楽器の場合もこの言いかたでいいのかしら。
確認のためチューナーを再びギターモードにしてチェックしてみれば、
大丈夫。全部の弦が正しい音を奏でている。
これにてアコギのチューニングは無事終了。
翌日にはエレキのほうも完了。
手元に完璧な状態のギターが2台(という単位でいいのか?)現れた。
なんだかもうギターのすべてをマスターしたような気分である。
まだコードをひとつしか覚えてないのに。
もちろんEm。
ちなみに先ほどのクロマティックというのはなんなのか調べてみると、
「半音階」という意味らしい。
通常のモードより繊細で、
あえて半音ずらしたチューニングをするときに使うようだった。
なぜこっちだと素直にチューニングできたのかその理屈はよくわからないが、
これからはいつもこの手順を踏むことになるだろう。
東京都。2024年。

# by apolro | 2024-03-13 15:36 | 旅の道具、日々の道具 | Comments(0)

三郡坂と旧上州道。

三郡坂と旧上州道。_f0217617_10485781.jpeg


それまで南西方向に続いていた尾根道が少し登り基調になってくると、

南北方向に伸びる尾根と合流した。
その合流点が三郡坂と呼ばれている。

ここは現在、青梅市と飯能市、入間市の境界になっているが、
かつては西多摩郡の青梅、高麗郡の飯能、入間郡の境界だったそうなので、
この命名もその頃のものだろう。
ちなみに西多摩郡は1878(明治11年)、
高麗郡と入間郡は1879(明治12年)の成立。
青梅市は1951年(昭和26)年に西多摩郡から離脱している。
ここからはしばらく北上していくと、
やがて小さな沢が現れた。

どうやらこれが登り始める前に渡った唐沢川の源流域らしい。
丘陵の上のほうからこうして水が湧きだしているのって、
ちょっと珍しい気がする。

すぐ下には古い堰堤があった。
下流部では民家の脇を抜けるように流れていたので、
おそらくは治水目的なのだろう。
現在はほとんど土砂で埋まっているのでどれほどの効果があるのかわからないが。
さらに斜面を詰めていくと、
ひときわ広い尾根道に登りつめる。

ここは旧上州路と呼ばれ、
かつては青梅と飯能、そしてその先の上州を結んでいた交易の道だったらしい。
明治41年測量の地形図を見てもこの道は描かれており、
尾根の途中から飯能方面に向かって下っている。
上州や秩父で作られた生糸がここを辿って青梅へ、
そこから八王子を経て横浜、
そして海外へと運ばれることもあったんだろうかと思うとちょっとワクワクする。
飯能から上州へはどんなルートを辿ったのかな。
希望的観測としてたびたび歴史に登場する顔振峠を越えていってほしいが、
さすがにちょっと遠回りか。
鎌倉古道を歩いて鳩山で笛吹峠を越えたと考えるのが妥当かな。
朝ゆっくり出たおかげで時間はすでに15時近い。
当初はこのまま旧上州路を伝って七国峠経由で下山しようかと考えていたのだが、
ちょっと厳しくなってきた。
さらにヘッドランプを忘れてきたことが判明。
丘歩きだからと完全に油断してましたね。
反省。
絶対に暗くなる前に下山しないとならない。
しかしこういう昔から使われていた道というのは、
麓の集落へ続く支道がたくさんあるもの。
ここでもやがて北側の岩渕集落へと抜ける道が現れたのでそれを利用。

30分とかからずに茶畑の広がる集落へ下山できた。
ここからはバスで飯能と東青梅のどっち経由で帰ろうかと思ったところ、
日曜日の飯能行きバスはすでに終わっていた。
日曜日の終バス15時台か。
週末のリクレーション目的の人にはまったく使われてないということだな。
さて、東青梅駅周辺にはどこか素敵な酒場あったっけ?
埼玉県・東京都。2024年。

# by apolro | 2024-03-12 10:55 | 旅の日々 | Comments(0)

今日の旅、昔の旅、そして狭間のよしなしごと。

by apolro