2016年 06月 03日
母島北端。かつてここに村があった。
ここには1944年の強制疎開まで、
約600人の住民が住んでいたそうです。
1968年の本土復帰まで、
母島には人が還ることは許されず、
ようやく戻ってきたとき、
この一帯は完全に密林に戻ってしまっていたとのこと。
結局、村はそのまま放棄され、
今ではここに集落があったことを想像するのも困難です。
長年の波にさらされて崩壊寸前。
先はすぐに植物群に覆われ、
進むのは簡単ではなさそうです。
唯一、当時の面影を残していたのが、
冒頭の写真にある小学校の跡地。
門柱と入口の階段のみを今に留めていますが、
この先に校庭が広がっていたとは
にわかには信じられません。
長い目で見れば、
結局植物には勝てないのかもしれません。
東京都。2016年。