檜原村の奥にある集落である湯久保。 地形図で確認すると、
湯久保集落へ行くのには、
北秋川沿いの都道から細い舗装道に入り、
途中の分岐で直進か右折を選択することになる。
どちらの道沿いにも民家が点在するのだが、 それらをぐるりと周回するには、
標高900メートル近い湯久保尾根まで詰め、
そこから尾根沿いに下ってくるしかないように見える。
しかしこういった山麓には、
地形図には反映されていない作業道や地元道のようなものが
数多く存在していることが多い。
ためしに同じ湯久保集落を昭和初期の地形図で確認してみると。
ほらね。 集落内を縫うようにいくつもの道が交差していることがわかる。
■マークで表現される住宅も、
いまよりずっと広域に数多くあるように見える。
今回はこの道を散歩してみた。
都道から伸びる道は当初、
杉に囲まれた暗い森のなかを行くが、
やがて南側が開けて青空が広がる。
舗装道があるのはここまで。
正面に民家が建ち、
その手前から九十九折れの山道が右へ延びる。
ちなみにこの山道を支える石積み。
ずいぶんしっかり積まれているなあ。
湯久保の人たちの手によるものだろうか。
公共事業だったらコンクリートを使うだろう。
しばらくこんな簡易舗装の山道が続いたあとに、
指導標のない分岐が現れた。
地図から判断するに、
おそらく左の道が尾根へ、
そして右が湯久保集落を周回する道なのだろう。
今回は右へ。
落ち葉にに埋もれてはいるものの道型はしっかりしている。
途中で山道沿いに現れた構造物。
おそらくは沢の水をここに溜め、
集落の上水として利用するためのもの。
これの整備のためにもこの道は維持されているのかもしれない。
やがて日当たりのよい場所に出て、
そこには一軒の民家が。
畑仕事でもしていてくれれば、
声をかけることもできるのだが、
そう都合よくはいかない。
「生きている」民家とあれば、
写真を撮るのだってちょっと気が引ける。
このへんの道も山側は時代を感じさせる石積みがびっしり。
日陰には数日前の雪が残る。
このあたりから周囲には家屋が増え始め、
集落の中心まで来たことが実感できるが、
驚くのはここにはまだ山道しか通じてないこと。
大きな荷物はすべて背負って家まで運ぶのだろうか。
ようやく舗装道に出た。
この道を下れば、
往路で右に分岐していたあの道に至るのだろう。
舗装道との合流地点にあった庚申塔と古い石仏。
庚申塔には「天保」年間の文字が、
そして石仏は摩耗していて、お顔はつるつるだった。
湯久保集落の歴史がにじみ出る。
東京都。2017年。