旅と暮らしの日々 by sato tetsuya


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渡し船部2018年活動再開、『小堀の渡し』その4。

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途中で寄港する船着き場を後に、
『小堀の渡し』は終着の船着き場である、
鉄橋下の取手ふれあい桟橋を目指す。
これまでに乗った利根川の渡し船はどれも、
乗客はもちろん、船頭さんも吹きっさらしのもとでの旅だったが、
このとりで号には前述のように室内席もあるし、
屋根つきの操舵室もある。

f0217617_1081149.jpg
そこだけ見ると、
小さな漁船みたいだ。
冬の澄んだ空気のなか、
やがてゴールが見えてきた。
四隅に穿たれた赤い鉄柱がひときわ目を惹くが、
これは実は桟橋を半可動状態で維持しておくためのものだそうで、
つまりたとえ利根川が増水しても、
桟橋はこの鉄柱に守られて上下動するのだ。

f0217617_10151349.jpg
その巨大な鉄柱から、
あらためて荒天時の利根川の暴れっぷりが伺える。
話は前後するが、
そもそもここになぜ渡し船が存在するのか。
それも実は利根川の氾濫に関係している。
まず地形図を眺めるとわかるのが、
小堀地区の特異性。

f0217617_10112023.jpg
千葉県と茨城県はその県境の多くを利根川で規定しているのだが、
そんななかなぜか小堀地区だけが利根川の右岸、
つまり千葉県側に位置しているのだ。
なんでこんなことになったのか。
これも地形図を眺めると一目瞭然。
小堀地区の南側には古利根池と呼ばれる池がある。
昔の利根川がここを流れていたことを示す、
いわゆる三日月湖だ。
三日月湖というと『釣りキチ三平』的な文脈でいうと、
とんでもなく巨大な野鯉が生息していそうだが、
実際にはヘラブナやバスの有名釣り場らしい。
今から100年以上前、
度重なる利根川の氾濫に手を焼き、
その結果として流路改修されたのが現在の利根川の流れ。
そしてそのために、
それまでは利根川左岸にあった小堀地区は右岸、
つまり千葉県側になってしまったというわけだ。
しかし川向こうの住民になってしまったとはいえ、
行政上は茨城県。
子どもたちは対岸の学校へ通わなくてはならないし、
大人だって取手駅方面へ買い物に出る必要もあるだろう。
そんなことからこの渡し船は運航されることになったのだとか。
川に歴史あり。
いや河川改修に歴史あり。
いやいや渡し船に歴史あり。
やがて渡し船は無事に着岸。
僕は心のなかで「では、サラバ!」とつぶやきながた、
船を下りて取手駅方面へ歩き出した。
茨城県。2018年。
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by apolro | 2018-02-25 10:14 | 旅の日々 | Comments(0)

渡し船部2018年活動再開、『小堀の渡し』その3。

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さあ、いよいよ3年越しの『小堀の渡し』乗船である。
この日は天気も良好。
風もなく絶好の船旅日和。
船頭さんに導かれ桟橋を渡って船へ乗り込むと、
まずはライフジャケットを手渡される。
船の名前はその名もズバリ『とりで号』
船は全長約10メートル。
渡し船とはいっても鉄製の立派なものだ。
自転車や原付自転車も持ち込めるらしい。

f0217617_115193.jpg
室内席もあって、
「こちらは一等船室でございます」と、
船頭さんが笑いながら案内してくれる。
今日みたいな日は甲板で景色を眺めながらの船旅が絶対だけれど、
雨降りだったり風が強い日は室内席が快適だろうな。
やがて船はしずしずと出航。
ゆっくりと利根川を渡り始める。
川面から眺める風景が新鮮だ。

f0217617_1152630.jpg
空が広い。
この『小堀の渡し』の航路は単に利根川を横断するだけでなく、
左岸側には2ヶ所の船着き場がある。
つまり三角形状の航路だ。
そのため途中で一度、
緑地運動公園の「駐車場前」という船着き場に寄港?する。
しかもそこで10分ほど停泊するので、
途中下船も可能だ。

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この船着き場に掲げられていた年表によると、
この渡し船はすでに100年を越える歴史があるそうで、
現在の船はすでに4代目とのこと。
ただし、長い間小堀地区の住民専用の足だったそうで、
一般の人も乗船できるようになったのは1996年から。
それまではまったく観光の要素はなかったんだな。
そんな歴史を興味深く眺めていると、
やがて船頭さんから出港の合図が。
さあ、いよいよゴールである鉄橋下桟橋を目指す。
茨城県。2018年。
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by apolro | 2018-02-24 11:08 | 旅の日々 | Comments(0)

渡し船部2018年活動再開、『小堀の渡し』その2。

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取手にある渡し船、
『小堀の渡し』の船着き場までやってきた。
10分ほどで出航とあって、
船着き場にはすでに粋な船頭のおじさんが待機していた。
僕がカメラを構えていたので、
おじさんは「いい写真撮れた?」と、
声をかけてくれる。
「いやいや、この渡し船の写真を撮りに来たんですよ」と答えると、
おじさんもちょっとうれしそうだ。
そりゃそうだよね。
いくら出港時刻とはいえ、
誰も乗らない船を運航させるのはむなしいだろう。
就航までまだ少し時間があったので、
おじさんにいろいろ話を聞く。
まず一番気になっていたのは、
なぜ「小堀」と書いて「おおほり」と読むのかということ、
このへんは昔から大雨が降ると利根川があふれ、
水が引いたあとには、
あちこちに小さな掘状の水溜まりが残っていたとのこと。
この小さな掘ほことを地元では「おっぽり」と呼び、
それが転じて「おおほり」と読むようになったのだとか。
おじさんは「あくまでも親方に聞いた話だけどね」と、
断りを入れたうえで教えてくれた。
やはり天下の板東太郎、利根川である。
暴れるときには暴れるのだ。
「多いときにはどれくらい増水するんですか?」と尋ねると、
「去年の秋に、二週続けて台風が来たことあったでしょ。あのときはね、この小屋が完全に水没したよ」と言いながら、
船着き場にある待合所兼道具置き場のような小屋を指差した。

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これが完全水没か。
言葉が出ない。

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小屋の外壁についている何本もの線。
これは刻々と増減する川の水量の跡なのだそう。
「ほら、屋根の角が凹んでるでしょ。あれは船の操船をしくじってぶつけちゃったんだよね」と、
ちょっと照れくさそうに教えてくれた。

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一瞬、そんなときにも渡しは就航するのかと思ったが、
さすがにそんなわけない。
しかし、それでも増水状況によって
常に船を移動させなければならず、
そんなときは不寝番で船を動かすのだそうだ。
言われてみればそうだ。
船が流されても困るし、
逆に土手に乗り上げられたまま水が引いてしまったら、
今度は重機を持ち出して川まで戻さなくてはならなくなる。
船の維持管理は想像以上に大変なのである。
ちなみにそのときは、
ひと月ほど渡し船は欠航になったそうだ。

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小屋の脇にあったこの切り株。
これはもともと枝振りのよい柳の木で、
夏には船待ち客に絶好の日陰をつくってくれていたのだが、
この木も昨年の台風時に増水で折れてしまったそうだ。
「残念だけど、柳は生長が早いからね」と、
その近くに新しい柳の苗が植えられていた。
それが、この渡し船をこれからも続けていく決意のように感じられて、
なんだかうれしい。
「さあ、そろそろ出航の時間ですよ!」
そういうと、
おじさんは桟橋に掛けられていた鎖を解いてくれた。
いよいよ、いよいよ乗船だ。
(「その3」に続く)
茨城県。2018年。
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by apolro | 2018-02-23 11:00 | 旅の日々 | Comments(0)

渡し船部2018年活動再開、『小堀の渡し』その1。

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今年の渡し船部活動第一回目は、
取手にある『小堀の渡し』。
ちなみにこう書いて、
読みかたは「おおほりのわたし」である。
この渡し船へのチャレンジはなにを隠そう三回目。
一回目、その存在を確認するためだけに行ったようなものだから、
まあいいとして、
二日目はいろいろ調べて準備万端でいったにもかかわらず、
広大な利根川の河川敷沿いに船着き場を発見できずに
乗り過ごすという失態をやらかした。
そしてそのまま渡し船は昼間の2時間休憩に入ってしまい、
断念せざるをえなかったのである。
そして三回目の今回。
もう失敗は許されない。
時刻そのほかの情報は完璧。
船着き場の場所も前回に確認ずみだ。
ただひとつ問題というか、
これは自分のなかの厄介ごとなのだが、
「渡し船は極力往復は乗らず、片道だけを利用したい」
という思いがある。
本来渡し船は、
橋のない川を渡って対岸へ向かうための旅の公共交通機関である。
それを対岸に渡って、
そのまままた戻ってきてしまったら、
それはもはや旅ではなく単なる遊覧船ではないか。
こちら側から渡しに乗ったら、
対岸に渡ってそのまま「ではサラバ!」と、
歩き始めたいのである。
この取手にある渡し船も、
ただ乗るだけならば取手駅から徒歩15分ほどの船着き場に向かい、
そこから渡しに乗ってまた戻ってくればよいだけなのだが、
それでは旅ではない、
と思ってしまうのである。
我ながら面倒クサイと思うがしかたがない。
自分の心にウソはつけない。
そのためにまず向かったのは、
JR常磐線の取手駅ではなく、
JR成田線の湖北駅。
この駅から利根川に向かってずーっと歩くと、
取手駅方面から見た対岸の船着き場へ着くのである。
小さな小さな湖北駅前を抜けて国道を渡ると、
そこはもう緩やかな起伏を持った農村地帯。
周囲は畑と林に囲まれ、
曲がりくねった細い道が延々と続く。
女性の夜間のひとり歩きは絶対オススメできない。
湖北駅から船着き場までは、
簡単に測量したところでは30分もあれば着きそうだ。
しかし三度目の挑戦とあってこちらも慎重。
コースタイムを倍の1時間と見て向かったのだが、
これが正解だった。
途中で道を間違えたのか、
そもそも見込みが甘かったのか、
利根川の河川敷には30分ほどで着いたのだが、
そこから船着き場が視認できない。
前回、乗り損ねたとはいえ船着き場までは行ったはずなのに、
また場所がよくわからない。
この時期、
利根川の河川敷は背の高いヨシに覆われていて見通しが効かず、
船着き場どころか川の流れすら確認しづらいのだ。

f0217617_1645389.jpg
船着き場はいずこへ。

これはイカンと一度土手の上に登って歩き続けることで、
ようやく船着き場の位置を確認できる始末。

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この幟が見えたときには正直ホッとした。

結局、船着き場に着いたのは出航の10分前。
はっきり言ってビクビクである。
しかししかし、
さあ、今度こそ乗船できそうですよ。

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対岸の向こうには筑波山も見え、船出を祝福してくれているようじゃないですか!
(「その2」へ続く。)
茨城県。2018年。
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by apolro | 2018-02-22 16:16 | 旅の日々 | Comments(0)

再会のお菓子屋。

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先日、久しぶりに巣鴨に行く機会があった。
巣鴨は僕が3年間通っていた高校の至近駅だ。
といっても学校には卒業以来足を踏み入れていないし、
駅周辺の様子もずいぶん変わってしまったが、
それでも、いまも当時のままというものもあった。
駅前の書店は、
昔と同じ書店なのかはわからないが、
同じ場所に書店として存続していた。
ここは学校帰りに立ち読みしたな。
スーパーの西友も昔のままあった。
西友は山岳部の夏合宿、春合宿の前日、
部員全員の一週間ぶんの食糧買い出しに利用させてもらった。
その山岳部も数年前に廃部になってしまったが。
そしてもう一軒。
まさかというお店が残っていた。
駅から学校へ向かう途中にあった、
間口一間ほどの小さな駄菓子屋。
通学途中に、
よくここで菓子パンを買ったな。
今も繁盛しているようで、
店内は近くのサッカークラブに通う子どもたちで賑わっていた。
こんな時代に、
こんな小さな、
しかも独立系のお菓子屋が成り立っているとは
奇跡のようにも思えるが、
やはりこういう強い固定客がついているんだろうな。
懐かしくて思わずカメラを向けると、
店のおばちゃんと目が合った。
不審者と思われてもイヤなので、
「若いころ、そこの高校に通ってまして……」と話をすると、
そのおばちゃんはなんと、
僕が通っていた当時のおばちゃんだった。
あれだけ通っていたのに、
残念ながら顔はまったく憶えていない。
高校生くらいの男子にとって、
おばちゃんの顔なんてそのくらいどうでもよいものなのだろう。
今回はそういう話。
東京都。2018年。

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by apolro | 2018-02-21 11:24 | 日々のなかの旅 | Comments(0)

映画『緑はよみがえる』を見た。

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舞台は第一次大戦下のアルプス。
極寒のアルプスを挟んで、
イタリア人とオーストリア人が闘っている。
日本人にはあまり馴染みのない戦史だ。
全編を通して、
4メートル以上の積雪のなかに構築された
塹壕のような前哨基地と、
周囲に広がる荘厳なアルプスの山々、
そして満月の月明かりの下で物語が進む。
タイトルと美しいジャケットに惹かれて、
これは山を舞台にした作品なのだろうと勝手に想像。
なんの予備知識も持たずに観た。
たしかに山の映画ではあったが、
いやはやこれはなかなかの重量級映画であった。
目と鼻の先に位置するオーストリア軍からの砲撃を受け、
兵士たちは家族から届く手紙を待ちわび、
そして家族に手紙を書きながら戦意も喪失して死んでゆく。
バルカン半島で発生したインフルエンザの猛威がここにも及び、
司令部にインフルエンザ薬の補給を頼むものの、
届いたのはなんとマラリアの薬という、
笑うに笑えない悲劇。
このあたりに前線と司令部との切迫感が
いかに乖離しているかが伝わってくる。
映画の最後に映し出される、
「戦争とは休みなく世界を歩く、醜い獣である」
という言葉がいつまでも脳裡に残る。
監督は『木靴の樹』のエルマンノ・オルミか。
なるほど。
2014年のイタリア映画。
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by apolro | 2018-02-20 10:04 | 映画で旅する | Comments(0)

2018年銭湯行脚十一湯目、不動前『松の湯』。

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安吾忌を過ぎても銭湯行脚。
2018年銭湯行脚十一湯目は不動前の『松の湯』。
目黒線の不動前駅からほど近く、
目黒不動からも10分ちょいの距離ではないだろうか。
そこを今回は五反田駅から歩く。
五反田駅前から続く第二京浜の広い歩道をてくてくと。
まわりにはビルが建ち並び、
こんなところに銭湯があるのだろうかと若干不安になりつつも、
東京卸センターの裏手に回ったあたりから、
急に古い住宅街が広がりだす。
一見ビルだらけの東京でも、
国道をちょっと裏手にまわるだけで、
こんな街並みが残るんだなあ。
その間を縫うように歩いたところに『松の湯』はあった。
おお。
これまた立派な宮造り。
何も知らない外国人旅行者だったら、
本当にお寺と勘違いしてしまうのではないだろうか。
入ってすぐのところにフロントがあって、
そこでおばちゃんにお金を払ってから、
男女それぞれの暖簾をくぐってゆく。
格天井の脱衣所から木枠のガラス戸を横に開いて浴場へ。
地元のかただろう、
なかにはすでに4人ほどの先客がいた。
木桶にお湯を張り、
身体を洗ったうえでさあ入浴。
浴槽は三つに分かれている。
左のは下から泡がブクブクと湧きだしている泡風呂。
中央は側面からいくつもの水流が噴射されており、
誰も入っていないと、
鳴門の渦潮よろしく渦を巻いている。
右手は通常の静水、フラットウォーター。
まだ誰も入っていないのだろうか、
波ひとつ立たず水面はまるで鏡のようで、
三者三様それぞれの対比がおもしろい。
泡風呂は思ったよりも深く、
腰くらいまである。
縁沿いの一段高くなっているところに座ればちょうどよいが、
底に座ったら絶対に溺れる深さ。
湯船に落ち着いて場内を眺めれば、
木枠のガラス戸は入口だけでhなく、
銭湯独特の、
高いところに据えられた窓もすべて木枠なのに気づく。
メンテナンス大変だろうな。
銭湯絵は定番の富士山だが、
構図がちょっと変わっている。
富士山の手前にそこそこの山並みが続き、
そのさらに手前には湖。
果たしてどこから眺めた富士だろう。
風呂から出た後にトイレに行きたくなって、
「トイレ」と書かれた扉を開いたら、
いきなり縁側に出てびっくり。
トイレは縁側の突き当たりなのであった。
帰り際にフロントのおばちゃんに尋ねたところ、
現在の建物は昭和36年に建てられたものだそうだが、
銭湯自体は昭和初期の創業らしい。
その間にも一度立て直しがあったそうだ。
年期の入った建物をしっかり手入れしつつ
維持していることへの誇りを見せながらも、
「この商売も最近は大変でねえ、果たしていつまで続けられるか……」
と語るおばちゃんはちょっと淋しげだった。
そんなこと言わずにいつまでも頑張ってくださいな。
黄昏どきの外に出ると、
向かいにあるグラウンドから、
野球の練習に勤しむ子どもたちのかけ声が遠く響いていた。
東京都。2018年。
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by apolro | 2018-02-19 10:52 | 銭湯行脚 | Comments(0)

エストニアはタリン港の廃墟ターミナル。

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エストニアへ渡るフェリーには、
大きなフェリーでのんびり行くのと、
小さなジェット船でビュッと行くのがあった。
大型フェリーのほうは設備も豪華で、
ちょっとしたクルーズ気分を味わえるらしい。
所要時間もそれほど極端に違うわけでもないようだ。
普通ならのんびり派を選ぶところだが、
このときは時間の都合でジェット船を利用した。

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ジェット船は1時間半ほどでタリンに到着。
着いてまず驚いたのは、
港の前に巨大な廃墟が立ちすくんでいたこと。

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おそらく旧ソ連時代に造られたものなのだろう。
いくら港とはいえ、
こんなでかい広場必要ないでしょとツッコミを入れたくなる、
いかにも共産主義的な建造物だ。
いまもどこかにレーニン像が立っているのではと、
キョロキョロしてしまったくらい。
ショッピングモールだったと思われる地下街は、
完全に封鎖されていた。

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夜は悪ガキたちがたむろしているのではないだろうか。

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エストニア語と一緒にロシア語が併記されているのも当時らしい。
しかしエストニアも独立してずいぶんたつのに、
いまだにこんな古いターミナルを使わざるをえないほど、
財政状況は厳しいのかなと思っていたら、
大きなフェリーが着岸している、
真新しそうで立派な港が遠くに見えた。
なるほど。
そういうことか。
チケットを買うときに、
スピード船にしては安いなと思ったのだけれど、
それは古い港を使うことで少しでも経費を削減して、
大型フェリーに対抗しているからではないだろうか。
日本へやってくるLCCが、
成田でも羽田でもなく、
使用料が安い茨城空港を使うことがあるのと同じような理屈なのか。
いや、ただ単に小さい船はこちら側を
利用することになっているだけかもしれないけれど。
いずれにしてもそのおかげで、
こんな巨大廃墟を見物することができて、
ちょっと得した気分になった。
タリン/エストニア。2017年。
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by apolro | 2018-02-18 10:35 | 旅の日々 | Comments(0)

雨の日の巡礼姿。

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サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道中、
2週間も3週間も歩いていれば、
それは天気が悪い日もある。
朝起きると外はシトシトと雨模様。
それでも多くの人は出発してゆく。
一応、巡礼だからね。
本当は自分を厳しい環境に置くことによって、
神との距離感を縮めようとする行為だからね。
装備する雨具は人によってさまざまだ。
僕はゴアテックスのレインウエア上下を持っていたが、
それよりも重宝したのは傘とバックパック用のレインカバー。
雨降りとはいっても寒いほど気温が下がるわけでもないし、
そしてゴアテックスとはいえ、
100%蒸れから解消されるわけでもない。
標高もせいぜい数百メートルの丘陵地帯。
片手を傘でふさがれていると危険なような悪路も少ないので、
傘のほうが軽快かつ快適に歩けるのだ。
日本の山で林道を歩いているような感覚だろうか。
もちろん、環境がもっと厳しくなるような場所、
たとえば風雨のピレネー山脈越えといったところでは
いよいよレインウエアが活躍するだろう。
現地の巡礼者で圧倒的に多いのはポンチョ姿だ。
彼らは日頃から山を歩いているわけではないので、
そもそもゴアのレインウエアなど持っていないだろう。
そしてポンチョなら一枚で身体もバックパックもカバーできる。
さらに言えば、巡礼者には杖が象徴的なので、
杖を使いながら傘をさして両手がふさがるのは、
さすがに嫌なのかもしれない。
写真はそんな雨天時のワンシーン。
このとき僕の前方を、
かなり体格のよい人が歩いていて、
なおかつ大きなバックパックを背負い、
さらに足元まであるポンチョを被っていて、
「あの人、どこまでが身体なんだろうなー」とボンヤリ考えていた。
歩いているときに考えることなんて、
そんなもんです。
フランス。2018年。
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by apolro | 2018-02-17 10:14 | 旅の日々 | Comments(0)

『ハーベスタ』がカッコイイ。

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サトウキビ収穫用の農耕機、通称「ハーベスタ」。
サトウキビの収穫期は冬なので、
伊平屋島でもその様子を間近で見ることができた。
そのメイン部分はなかなか複雑な構造をしていて、
なにがどうなってどうなるのか、
いまひとつよくわからないのだが、
これを用いると、
畑のサトウキビをバシバシ伐採して皮もむいて、
さらに適切なサイズに切り分けて、
うしろについている大きな籠に放り込んでくれるのだ。
あとはその籠ごとトラックで精糖工場に運ぶだけ。
なんだか見かけはガンダムに出てくる
ジオン軍のモビルアーマーのようでもありますが。
その性能をフルに活かせるどうかに、
乗り手の技量が大きく関わってくる
というところもモビルアーマーみたい。
このマシンの導入によって、
それまでは収穫期に必須とされた
アルバイト部隊が不要になったそうだ。

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もっともマシン自体もかなり高価で、
フェラーリの新車が買えちゃうような値段らしいけれど。
沖縄県/伊平屋島。2018年。
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by apolro | 2018-02-16 11:12 | 旅の道具、日々の道具 | Comments(0)